やそはちの米作り日記

東京農工大学の有志メンバーで作られた「やそはち」が千葉県香取市で農家の方にお借りして、お米を作ります!

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イネの伝来について(稲のきた道を読んで)

こんにちは。作業に参加できず少々肩身が狭い、鐵です。
ようやく暑くなってきましたね。今年はしばらく気温が低かったせいか、まだニイニイゼミの声しか聞いてないですが。

今回は、「稲のきた道」(出版 裳華房、著者 佐藤 洋一郎 1992年)という本で紹介されている日本への稲の伝来についてまとめてみようと思います。

僕が歴史の授業で習ったのは(今の小中学生はどう習っているか分かりませんが)、「稲作は弥生時代に中国大陸(朝鮮半島)から渡来してきた人々が持ち込んできた」というものでした。本によれば、中国南部を出所に朝鮮半島を経由したのではないか、そういう説だそうです。

これ以外にもいくつかの説があり、
・出所は朝鮮半島からの伝来と同じ中国南部だが、陸伝いでなくそのまま東シナ海を船で伝わったという説。
・南方から伝わったという説。(有名な民族学者の柳田国男の説です)
などがあるそうです。

一方でこれらの説には問題点がないわけではなく、
例えば、朝鮮半島経由で考えた場合、朝鮮半島(とくに北部)は日本よりも気温が低いために早く収穫できる早生品種でないと栽培できないが、朝鮮半島から最初に稲が伝わったと思われる九州では晩生品種が栽培されていた。しかし、農学博士の佐藤さんによれば早生が晩生に変化することはまずありえないのだそうです。ただし、温暖な朝鮮半島南部沿岸部を経由、または東シナ海を船で伝わったとすれば、晩生品種がそのまま伝わったことを説明できるということです。
また、南方から伝わったという説は、沖縄の文化には九州以北には見られないような南方の文化の要素を持っていることから生まれたとのことですが、沖縄の考古遺跡から古い時代の稲が出土していないために考古学者に否定されたそうです。

これらの説は、いずれも一元的なものです。しかし佐藤さんが本書で提案しているのは複合的、つまり「稲は南方と中国(朝鮮半島)の両方から伝わったのではないか」という説です。それについてまとめてみます。

まず、佐藤さんは日本各地の在来品種を集めて遺伝子調査を行いました。在来種とは、コシヒカリなど現在多く栽培されている奨励品種ではなく、地域ごとに古くから栽培されてきた独自の品種です。
次に、ジャマイカという品種との交配実験を行いました。話がややこしくなりますが、イネにはHwc-1とhwc-2、Hwc-2とhwc-2という、それぞれ優勢、劣性遺伝子があるそうです。このHwc-1とHwc-2という遺伝子が合わさると、雑種弱勢という現象が起きるそうです。Hwc-1はジャマイカという品種にしか見られず、そのためジャマイカと他品種を掛け合わせて次世代に雑種弱勢が生じるか生じないかで、その品種がHwc-2を持っているか、いないかを判定できるということです。
実験の結果、日本の在来品種のほとんどはHwc-2を持っており、一方で持っていない品種も少ないながらあり、沖縄に若干多い傾向にあるらしいが何とも言えない、ということになりました。
今度はアジア各地の品種で同様に調査を行いました。その結果、Hwc-2を持つ品種は中国、朝鮮半島には多いが他ではほとんど見られないという結果になりました。この結果から、中国、朝鮮半島から日本に稲が伝来したのはほぼ確実ということになりました。一方でHwc-2を持っていない、つまりhwc-2しか持っていない品種は各地にあり、判断が難しいが、中国のHwc-2を持たない品種は日本の品種と類縁関係のないものであり、日本のHwc-2を持たない品種は中国から伝来した可能性は低いということになりました。そのことから南方から伝来した可能性も浮かび上がってきます。

続いて、佐藤さんは大学生だった西口浩司さんに日本の在来品種が温帯ジャポニカか、熱帯ジャポニカ(ジャバニカ、ジャワニカとも呼ぶ)か調査させました(卒論というわけです)。ちなみに温帯ジャポニカが北回帰線より主に北で栽培されているのに対し、熱帯ジャポニカは南で主に栽培されており、温帯ジャポニカよりも大柄な草体をしています。
遺伝子を調査した結果、日本では熱帯ジャポニカは沖縄にわずかに見られたほかはないという結果になりました。しかし、熱帯ジャポニカの遺伝子を持ったもの(つまり温帯と熱帯の交雑種)は九州から東北まで広く分布していることが分かりました。ここから、西口さんは、熱帯ジャポニカが本土にもあったことを物語っているのではないかと考えました。熱帯ジャポニカは中国には見られず、もっと南の地域で栽培されているものなので、やはりここからも南方から日本へ稲がやってきたことが考えられます。

話は続きます。
今度は考古学の視点からになります。イネ科の植物は葉にケイ酸体というものを形成します。これは鉱物のようなもので、植物体が枯死しても土壌に残り続けます。これをプラントオパールと言い、種によって形に特徴があるので、稲のプラントオパールが見つかればそこで稲作が行われていた可能性が高いと言えるそうです。
宮崎大学の藤原宏志さんのプラントオパールの調査により、青森で2000年前から稲作が行われていたという結果が出ました。それまでは、東北に稲作が到達したのは14世紀ごろとされていたのですから驚きです。いつ頃に中国(朝鮮半島)から稲が伝来したかは2500年~3000年前などと諸説ありますが、いずれにせよ従来の想定よりかなりのハイペースで北進したといえます。
ここで問題が出てきます。青森は気温が低いためにかなりの早生品種でないと栽培できないのに、西日本などで栽培されている品種は晩生だからです。突然変異で晩生品種から早生品種が生まれることはありますが、その確率はかなり低いもので、稲作の急速な北進を説明するには不十分だそうです。
そこで、佐藤さんが考えたのが、温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカを掛け合わせて生まれた早生品種が東北へと伝わっていったという説です。詳しい説明は省略しますが、共に晩生の温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカを掛け合わせると、組み換えが起こって早生品種が誕生するとのことです。
ここで、再びプラントオパールが出てきます。温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカではプラントオパールの形状に違いがあるそうですが、調査の結果、平安時代までは温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカが一緒に栽培されていたことが分かったそうです。また、かつては同じ田んぼに様々な品種が雑多に栽培されていたという調査結果もあり、交雑は容易に起きたと考えられます。突然変異よりも交雑の方がずっと容易に起こるので、稲の急速な北進は温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカの交雑によって支えられたと考えられるということです。

長くなりましたが、要するに熱帯ジャポニカが日本に存在したのは確実で、そこから日本に稲作が中国大陸だけでなく、南方から(佐藤さんの説では台湾→沖縄経由)も伝わってきたのではないか、ということですね。もっとも、プラントオパールなどの調査で熱帯ジャポニカが中国大陸でも栽培されていた証拠が見つかったら、また話が変わってくると思いますが…。

もっとしっかり知りたい人は実際に本をを読んでいただいた方がいいと思います。
佐藤さんは、この本の中で、現時点で考えられる一番の説だが、まだまだ分からないことも多いと書いておられます。
何事も決めつけないで、ひたむきに調査を続ける姿勢を見習いたいですね。


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